ある薬剤師のひとり言

薬剤師として思ったことを、書いていきたいです。

感謝できなくても、悪くない。

こんにちわ。

今回記事を書く事にしたのは、母とのあるいざござがきっかけです。私は、社会の常識により、苦しみ、生きづらさを感じている人の存在をきちんと意識し、そのままでもいいと思っていることを共有しておきたいと思っています。

父の生き方

今回、私の母とのいざこざは何を隠そう、父の事です。そもそも、前の記事でも書いていきましたが、私の父は、幼い頃から自分を否定されることが多く、精神的に辛い思いをして生きてきました。そして、抑えられすぎながら生きてきました。ここでは書いていけない、言葉の数を言われたそうです。

父は、のんびりした性格ではありますが、実は、人からは鈍いと言われる、ある種の特性を持っています。それを必要以上に、なじられて育ったからでしょうか。かなり、抑えられすぎた感情を爆破させ、暴言をはく事がありました。

ここまで書いていくと、傍若無人な態度をしている人だなと思われると思います。自分が悪いなら、自分で補おうとするだろ?

そう思われる方いると思います。でも、それは、あくまで普通の生き方をしてきた人だからこそできる思考というものです。

それこそが、社会の常識だと押さえつけている事になります。

だからかもしれませんが、人に感謝する事ができません。

人にしてもらったら、必ず感謝する。確かに、その通りではあります。が、それをしたくてもできない人もいます。

感謝はできる人に限定してやれば良い。

私は、感謝できない人が悪いとか、思わないです。私の父のように、感謝する心を育てられず、人に感謝できない人がやはりいます。

人に感謝するのが当たり前ですし、私はできます。ただ、それは、父ほどの苦労をしてなかったからであり、それができるのが、当たり前だと思っていました。

社会の常識が、人によったら非常識になります。常識を持つって何が正解なのでしょうか?

もちろん、父の事を擁護できない人が多いでしょうし、それを言ったところで、いい年して当たり前な事もできない。甘えている。

確かにそういう発言もあると思います。しかし、それは、その人の生育環境なり、生きてきた環境において、難しかったことであり、責められことではないと思います。

もちろん、暴言を吐いて、他人に迷惑をかけることが決していいとは思いません。ただ、その人の背景に隠された事実を理解し、その人が、苦しんできた精神的なところを解放しなければ、その人の幸せには行きつかないと思います。

感謝は、本当に気持ちがついて行って初めてできる。

感謝することが当たり前になっていますが、そこに心が伴って初めて意味があると私は思うんですよ。そんな事どうでもいい。人にしてもらったなら感謝しろっていうのが、社会的に常識だと言われてます。

しかしながら、心が伴っていない感謝ほど、無機質なものはないです。私も、してもらったら必ずと言って感謝しますが、心が伴っていないなと感じる事はたくさんあります。 

だからこそ、自分が本当に気持ちがついて行って初めてできるのが感謝だと思うんです。

本当に感謝できる人にだけ、感謝するだけでもいい…それが、現実的だと思う。

だからこそ、本当に感謝できる人にだけ、感謝するだけでもいいと思います。自分が本当にありがたかったと感じる時に、感謝をすれば、いいと思います。感謝をしないのは非常識だと、話している人はいますが、その人にこそ、聞いてみたいです。

もちろん、この考え方におかしいと思う事もあると思います。しかし、感謝を本当にできる人も同じような話に塗ります。

それができて初めて、人に対して感謝ができるのだと思っています。以上です。